天台宗 和田山 法性寺(ほっしょうじ)は、平安時代の中頃に建立され1000年以上の歴史を紡いできた寺院です。
平安中期、長和五(1016)年、比叡山天台座主第二十二代〇進により『顕教・密教』の浄地として創建。本尊は大日如来です。秘仏、本尊大日如来像は、行基菩薩作といわれています。

「一隅を照らす人間になろう」
平安時代に日本仏教の築かれた伝教大師「最澄」さんが遺された有名なことばに「一隅を照らす人間になろう」があります。まっすぐな心で自分のまわりに接して暮らせば、どんどん光が四方遠方まで照らしてゆく。このことばは、本寺内にも掲げられ大切にされています。
岡崎城主 松平広忠公も帰依した寺
かつて徳川家康公の父、岡崎城主 松平広忠公も法性寺に深く帰依していました。この広忠公の命を受け、当寺の住僧であった定光坊永玖が鳳来寺の薬師如来に男子出生を祈願し、誕生したのが家康公といわれています。
出生祈願のエピソード詳細はこちらをクリック
天文十年(1541年)岡崎城主 松平広忠公は、当時刈谷城主であった水野忠政の娘「於大の方」と結婚し男子誕生を願い、和田山法性寺の定光坊永玖に命じ鳳来寺の薬師に男子出生を祈願させたところ、天文十一年十二月二十六日、於大の方は岡崎城内で男子(後の家康公)を出生した。広忠公はこれを賞し、「和田山一山六坊(定光坊・杉本坊・密祥坊・中之坊・密厳坊・大円坊)」を岡崎甲山寺に移し、さらに護摩堂を建立し一山の本堂とした。法性寺には大日堂のみが残った。これが現在の天台宗和田山法性寺である。
金剛力士像
戦災により、法性寺に関わる貴重な史料の多くが消失しましたが、現在の法性寺の門を守る金剛力士像は、岡崎城の鬼門を守る守護神と伝わっています。
「法性寺に帰りたい」と告げた仁王さんの詳細はこちらをクリック
山門両脇に立つ仁王像は、天文十三年(1544年)「法性寺六坊」といわれた一山が、岡崎城の鬼門にあたる北東の鎮護の主人として、現在の甲山寺(岡崎市六供町)に移築された際、一緒に移されました。
ところが、それから三百余年の後、昭和二十年七月、太平洋戦争が激化。米軍による本土空襲が連日連夜行われていた当時のこと。甲山寺の可児光照住職から「昨夜、夢に仁王さんが現れて”法性寺に帰りたい”と告げられたので支給頼む」と、当時の法性寺住職 野田政次郎・ゑ津夫妻に連絡がありました。両人が大八車で、仁王像をその日のうちにお迎えして法性寺に安置したその当夜、岡崎市は大空襲に会い、甲山寺はもちろん旧市街は灰燼に帰してしまったのでした。
「奇瑞(きずい)」を身をもって示した尊い実話として、言い伝えられています。



老若男女に大人気の「一休さん」
「とんち話」で有名な一休さん。88歳まで生きたといいます。
法性寺の境内一隅に、いらっしゃる愛らしい一休さんは、本寺を訪れる方々の人気者です。
「知恵と元気をください」とお願いしながら、一休さんの頭と自分のあたを交互にお撫でください。

法性寺へのアクセス
岡崎市法性寺町上屋敷50 電話 0564-51-2664
■バスでお越しの方
名鉄東岡崎駅南口初(中野郷経由)/JR岡崎駅西口行き(約23分)「法性寺」停下車
JR岡崎駅西口初(中野郷経由)/名鉄東岡崎駅行き(約5分)「法性寺」停下車
